まず心配や悩み事、つまり問題があります。これを解決できるもの、出来ないものに分けます。解決できるものは解決に至るプロセスを考え解決に向けてプランを練っていく。その過程は楽しいものです。大変なこともあるかもしれませんが、すぐにクリアーできるゲームは楽しくありません。それと一緒でストレスでもなんでもありません。次に解決できないもの。これに関しては気にするだけムダです。解決できないのですから。そんなものはスルーすれば良いです。
最後に、人が絡んでストレスがどうこう言っている人、例えば「誤解されている」「信じてもらえない」「信用できない」などです。私から言わせればホントどうでもよいです。「誤解されている」とか「信じてもらえない」なんて感じている人って、人から信頼を得ることがものすごく大事なことだって考えているし、そう教えられてきたのでしょう。しかし、私はそう思いません。例えば恋人から浮気を疑われて、自分が清廉潔白なのに信じてもらえない場合、自分が清廉潔白であれば良い訳で、それを相手が信じてくれるかどうかなんてどうでもよいことです。信じる人は信じるし疑う人はずっと疑うでしょう。そんなことをイチイチ気にする方が時間の無駄です。信じてもらいたい、信頼を得たいと思うからそんなことで悩むのでしょう。他人からの信頼なんてどうでも良いと思ったらそんなことでイチイチ悩まないはずです。本当はどうなのかということは自分だけが知っていれば良いのです。逆に相手を「信用できない」なんてことで悩んでいる場合です。相手が言っていることが本当かどうかなんて、実際のところ分かりません。ですから「この人にだったら裏切られても良い」と思えるかどうかで判断すれば良いのです。どんな人だっていつか必ず裏切るのですからそれを信頼できるかどうか・・・なんて言っていたらキリがありません。ただし、店や会社を経営しているという人は、従業員の人柄を信頼するのは自由ですが、仕事は絶対に信頼してはいけません。どこかで手を抜くし足も抜くし、ごまかすし、間違えます。だから必ず自分でチェックすることです。それをしなければ人任せで経営者として失格です。そして必ず自分が最後はチェックするということが顧客への誠意となるのです。
私は常にこのように考え行動しています。その中でストレスがたまったとか感じることもないですので発散も何もありません。それどころかストレスってなんですか?っていう感じです。もしも「ハイ、これがストレスってものですよ」って出されたら「な~んだこれのこと言ってたんですか?こんなのどこにでもあるでしょ」となって終わりでしょう。だから発散しようなんて考えたことありません。